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物理の空き地 by M.E_K

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努力は自分を裏切らない。本当か?

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努力は自分を裏切らない。結果は裏切る。

この説は本当なのだろうか。今回はそれについて考察してみる。

この話ではまず二つの側面から努力と結果を捉えなければならない。

試験、仕事のような努力と結果がついて回るもののすべてに共通することは、二つの側面があるということだ。では、二つの側面とは何か。

 

二つの側面

物事には使う人、使われる人の二つがある。

使う人とは、課題を作りそれを他人にさせることだ。

例えば、テストをさせる人、仕事を与える上司。

 

使われる人とは、課題を与えられ、それを実行する人だ。

例えば、テスト受ける受験者、仕事をこなす部下

ここから、努力をするのは使われる人の方であることが分かる。あくまで使う人は、指示をだすだけであり、指示を出す段階に努力は必要ない。では使う人、使われる人の立場から物事をみれば、説について話が進められるだろう。

使われる人

使われる人は、いわゆる努力をする人だ。分からないことを調べ、自分が納得するまで努力し、時間をかけて言われたことをこなす。テストであれば、テスト範囲を網羅する。では、使う人はその間何をしているのだろうか。

使う人

使う人は、使われる人の結果を待つだけである。その結果の良し悪しで評価を行う。つまり、使う人は使われる人の努力は関係なく、その結果だけが大事なのである。

結果は努力を裏切る

使う人は結果だけを待っている。その過程がどうであれ、結果が求めているもの以下あれば、不可(使えない)であり、以上であれば、優(使える)なのである。使う人からすれば、使われる人の努力はどうでもいいということだ。そのため、使われる人の努力は平気で裏切るのである。使われる人の努力は結果が伴わなければ無価値なのだ(使う人からしたら)。

いくらテスト勉強をしても、テストの点がなければ東大には入れない。だって、テストの点がないのだもの。勉強時間がどれだけ多くても、時間をかけてできない人はそれまでの話である。

世の中は非情で結果を求められる実力至上主義に違いはない。

努力は無駄か?

これまでは使う側からの視点で努力についてみてきた。では使われる側からの努力はどうなのだろうか。

まず、使われる側の人に終わりはない。100年?という長い人生の中のうちほとんどが使われる側の人であろう。使う側には期限があり、物事が終われば、使う側はそこで終了である。しかし、使われる側は終わらない。死ぬまで。

テストを例にあげると、採点が終わればテストは終わりなのである。しかし、テストを受けた人は結果がどうであれ、終わりではない。

つまり、使われる側の人は努力をすればするほど、経験として力を獲得し、次の使われるタイミングで発揮することが出来る。このように考えると、努力は自分を裏切ることはない。努力が自分を大きく成長させ、いつかの成功に導く。

 

生きていく上で、心に刻み続けていくこと

人生は一度きりだ。そのほとんどが使われる側の人になる。はじめは確かにできないことが多いだろう。しかし、一度の失敗が今後の人生の失敗なのだろうか。私はそうは思わない。その時は、だめかもしれないが次がある。次出来ればいい。それまでに努力しよう。努力はすぐには実らない。大切にしなければいけないことはそれだけだ。