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物理の空き地 by M.E_K

日々の学び、感じたことを書いております。ブログ移行中->https://physics-mek.com

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基礎物理学実験で得られるもの

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基礎物理学実験とは

岐阜大学教育学部で開講される基礎物理学を学ぶ実験のことだ。これは、教育学部にいれば、誰しもがヤバいといい、岐阜大学生なら知らない人がいないくらい大変なことで有名な授業である。具体的に基礎物理学実験が大変たる所以は、高校物理をやっていない人、高校数学も怪しい人が受講者の大半を占めていることが原因であり、さらに高校教育まで受けてきた、「定性的なものの見方」を否定し、「定量的に物事を捉える力」を要求されることが大変な理由であると言える。

 

教育学部でやることなのか?

そもそも岐阜大学教育学部は未来の教員を育てる養成学校である。そのため、教育学部で開講される授業のどれもが、教員になるためには必要不可欠なものであるのだ。

教員になるための授業は当たり前のことをしていれば、基本的に単位が取れる。しかし、そんな授業の中で基礎物理学実験は他に類を見ないくらい落単者が多い。

その理由は先ほども述べたようにまだ高校から出てまもない人たちに受け入れがたい現実を突きつけるからだ。しかし、私は教育学部だからこそ、一年生だからこそ、基礎物理学実験が必要だと考えている。

基礎物理学実験で得られるもの

忍耐力

この授業は相当にハードである.大学一年生には重い.しかし,それだからこそいいのだと思う.私はそのハードさの中に学びがあると考えている.キツイ中で学びがあることに気付くことが難しい。例えば、叱られているときはただやるせなく、うざいと感じてしまう。しかし、時間が経つと叱っていただけることに感謝する時が来る。それと同じである。基礎物理学実験はとてもハードだ。教授の言葉、TAの採点、納得のいかないことが始めは多いだろう。しかし、それを乗り越えた先に得られるものがある。まずはがむしゃらにやってみるのがいいだろう。(結局適当に終わらせてしまうやつもいるが,私はがむしゃらにやっている学生を応援したい.)

物事の定量的にみる力

日本の初等、中等、高等教育では、定量的に物事を捉えることをしてこない。そもそも教える教師がそういった定量的に物事を捉えること自体出来ていないだろう。物事を定量的にみると何がよいのだろうか。教師自体できていないのなら必要ないのではないだろうか。いいや、そんなことはない。

世の中に「絶対」という言葉は存在しない。では、どうやって事象が正しいといえるのだろうか。例えば、あなたにとっての見える緑を、どのように緑であるといえばよいのだろうか。例えば、私は生きてるが、それをどうやって生きているといえばよいのだろうか。科学を教えるうえで、「絶対」はありえないのだ。しかし、教師は科学的事象を子どもたちに教えなければならないのだ。「絶対」起こるとは言えないのに、どうやって科学的事象が正しいといえるのだろうか。

それを限りなく正しいといえるようになるためには、「定量的に物事を見る力」が必要だ。基礎物理学実験では、それを手に入れることができる。むしろ、その力を手に入れなければならない。

危機感

実験はグループで行う。データの取得、解析、発表。これらをグループで行わなければならない。決して単独行動は許されないのだ。確かに出来るものがいるグループは、ある程度楽になるだろう。しかし、出来るものが突っ走れば、下の者は理解できず、落単する。合格するためには、出来るものは教え、下の者は積極的に食らいつかなければならない。こんな環境で行われる授業は普通はない。下の者もなんだかんだで拾われてしまう。ぬくぬくと育った教師ほど、使えないものはない。下の者をバッサリ切る授業からこそ、仲間に聞き、先輩に聞き、教師に尋ねるのだ。そういった半期を過ごせば、おのずと危機感を覚え、良い教師へとなるに違いない。

大学3年の就活時期に、急に社会に目を向けるものがやたらとおおい。しかもそういったやつは、今まで遊びほうけていたものがほとんどだ。なぜそうなるかと言えば、社会を知れば知るほど、自分の非力さを知り、焦って急発進するからだ。これは悪いことではないがいいとは言えないだろう。もっと早くから気付いて動いていれば、もっと可能性を増やせていただろう。

そういった点から見ると、基礎物理学実験で危機感を感じ、未来に一歩近づくのであれば私は、最高の授業であると思う。

まぁしかし、大半の人は、やさぐれて単位を落とすのが現状ではあるのだが。。。この危機感を感じて伸びるやつほど、頼もしいものはないのに。。。全くもったいない。

まとめ

基礎物理学実験は大変だ。簡単に終われるものではない。しかし、仲間と悲鳴を上げながら課題をこなしていく生活は後から振り返ればいい思い出になる。よい記憶になるように、くれぐれも不正行為がないようにしていただきたい。不正行為ほど誰も幸せにならない道はない。